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2024年03月29日
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沈黙の捨て牌

2010年04月05日

 昨日の記事がアホすぎたんで、反省して今日は真面目に考えました。



 僕は「捨て牌読み」こそ麻雀漫画の隠れた華だと思う。

 「むこうぶち」単行本の何巻だったか、天獅子先生とどっかの作家さんのインタビューに「麻雀漫画は推理小説に似ている」的なお話をされていて、非常に感銘を受けました。
残された痕跡から謎を解く事と、捨て牌から場を読み、相手の手を探る事は同じ事。
違うのは、推理小説では証拠の理由やトリックが全て明かされるけど、麻雀漫画で捨て牌は “ただ黙ってそこに在る”
そういう沈黙が麻雀漫画特有の空気って言うか、だからこそ魅かれる所なんですよね~。
麻雀漫画は一つのコマにすごい量の情報が詰まってるんですネ。実は。
それに気づくか気づかないか…読み手の技量も問われます。
 

 

 闘牌を考えるとき、アガリ手は話の都合で作るので最初に考えて、後から捨て牌を作ってると思います。
最終形はどうにでもなるんですが、捨て牌はソレにあわせなきゃいけないし、矛盾があってはいけない。

「どのように手を育てたのか」=「何をどう捨てたのか」に個性が表れるので、闘牌を考える事はキャラの台詞を考えるのと同じなんです。
なので、捨て牌を考えるのって最終形を考えるより、すんごく時間が掛かるんですよ~。(←単に、自分がそうってだけかもですが…)


 そんで、作者が心血注いで作った捨て牌でも、読み手には殆ど伝わらない。
一打一打追う訳にもいかないので、見えない要素が多すぎるから。
だからこそ、登場人物たちには捨て牌を読んで欲しい。
ただし、説明がくどいと読み手は飽きるので、読者にヒントを与える必要最低限の言葉で表してほしい。



 はっきり見えているにも関わらず、読み手の技量によって捉え方が変わる沈黙の証拠。
表に出されるアガリ手よりも、その裏で深いメッセージを湛えている…
それが捨て牌。

 

 いいじゃないですか~そういうのっていうかなんつーか!
男は黙って己を示す!っていう侍魂つーか古来の日本男児っていうか~!!

 「振聴」というルールがあるからこそ「捨て牌読み」が有効な訳で、それは実に日本らしい発想。
麻雀漫画の捨て牌読みは日本の文化なのです!!!
 


 …しかし最近、「読んでも当たらないから読まない」「自分の聴牌最優先」 ―オッサンから言わせればいかにも、努力を否定、個性と傲慢を履き違え、義務を放棄し権利を主張する現代的な個人主義― 的な傾向が麻雀界でも広まってるせいなのか、麻雀漫画専門誌である近麻でも廃れてきてるのかなー…と。


 捨て牌を読めないから読まないんじゃない、読めるようになるまで努力しろ!って事。
上手い人は、やっぱり振り込まないんですよ。
ピタッと当たり牌を止められる。鳴かせる牌も絞る。でもベタオリじゃない。
例え振り込む可能性があっても、行くべきところは見極めて、行く。
暴牌と強打、この違いを理解できる人こそ真の強者。

 麻雀漫画では「絶対強者」的に描かれるキャラは「相手の手牌を全て言い当てる」又は「待ちの一点読み」のシーンが描かれることがしばしばあります。

 当然「好牌をツモれる運」「アタリ牌を掴まない運」ってのが大事なんですけど、それじゃただの「運がいい人」になってしまう。
運以外で麻雀の強さを証明するといったら、捨て牌読みしかない。
手組の上手さも、将来相手のアタリ牌になるような牌は残らない様に先に捨てとくか、手に組み込んで相手の待ちを殺しきる。そーいう事ができなきゃ強くない。
だからこそ「相手の手の内が読める」事を証明するシーンが必要な訳です。
捨て牌を読めるって事は麻雀打ちの憧れなんだと思う…んです。いや勝手に。


 蛇足ですが…
「どーせ読めないから全ツッパ」って教えられた人、自分はカモにされてるんじゃ…って疑った方がいいかもですよ。
カモとはレートだけじゃないよ、ランキングがあるならランキングで、上位者を押し上げるためのカモって事で。
 


 と、捨て牌読みを大絶賛しときながらこんな事いうのもなんですが!

捨て牌読みがないなら麻雀漫画じゃない、などどは思いません。
ソレばっかだとクドくなるし、話のテンポも悪くなり、漫画としての爽快感が欠けてしまうし。
結局漫画なんで、絵が生き生きして、話も面白くなきゃつまんないんですよ。

 イカサマ合戦でも役満オンパレードでも超能力漫画でもいいですよ、漫画として面白ければ。
そしてその漫画に、麻雀をやる事の意義があるなら。

 つーか僕ぁ「哲也」大好きですからww
麻雀部分はアレですが、漫画として非常に面白かったし、少年誌の主人公としての「哲也」の、爽やかな哀愁は麻雀でないと表現できないと思った。
あれがもし、他の日本のギャンブル(オイチョとかチンチロとか)だったら泥臭くなっただろうし、
海外のギャンブルでは派手さばかりが目立ったかもしれない。
アウトローでありながら、独特の品の良さを持つ「哲也」という主人公の、「相手の気持ちを考える」という日本人らしい思想は、麻雀の中でこそ活きたと思う。
何より「少年誌で成功した」「アニメ化した」という功績は大きいんです!


 麻雀漫画として読んで、読み終わって「面白かった~」って思えるのはストーリーと麻雀が上手に融合した作品だけ。
麻雀がただの演出程度では麻雀漫画とは言いたくない。
自分にとって麻雀漫画が他の漫画よりも魅力的に思えるのは、「牌に託された作者の想い」があるから。
一つの画面の中に、2つの表情がある。
和歌で言うところの「掛詞」みたいなモンですな。うーん日本的。


 とりあえず、僕にとって理想的な麻雀漫画(闘牌&捨て牌が丁寧で、且つ話が面白い)で現在も連載中なのは…
「むこうぶち」だけかな~…今の所…。
あ、勿論「天牌」が大好きなのはいわずもがな!なんですけど、最近どーも大ゴマ・見開き連発で引き伸ばし感がありありと伝わってきちゃって、倦怠期かな…と…(^^;
菊多がいるから買ってるけど…ww(^^;;;

 あとは過去の作品に求めるしかないのかな。
とかいって、現在連載中の麻雀漫画全作品を知ってるわけじゃないんですけど…
(絵が好きでないので、あえて読んでないってのもあるし~…)

まぁ色々まったり、探してみます。(´・ω・)ノ
 

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Comment
2年も前の記事にコメ
捨て牌は推理小説的伏線なコラムありましたね

それまで考えもしなかったので、読んだときは
「なるほど こんなこと考えてる安藤さんだからむこうぶちは面白いんだな」などと納得

いや、今も好きですが

捨て配読み 勉強しヨ
何年前でも嬉しいです(*´∀`*)
きしめん さん!

 コメントありがとうございます!
返信が遅れてすみません…orz


>捨て牌は推理小説的伏線なコラムありましたね

 ですです、むこうぶちの単行本の巻末にあったお話ですよね!
あれには感動しました~!

 漫画としては、捨て牌はサラっと読み飛ばしてしまっても問題ないですが、そこに敢えて隠れたメッセージを置くっていうのが浪漫というか、これぞ麻雀漫画の醍醐味(`・∀・´)って思います。

 安藤氏の頃のむこうぶちは、ストーリーと闘牌が連動していた感じがあるので
(よく、麻雀を他のものに例える表現が使われていたあたりが…)
捨て牌までじっくり意味を考えると、3度おいしいと思います…w


 じ、自分も未だに捨て牌読みって出来ないのですが…(^^;
是非!捨て牌読みを勉強してみて下さい~!!
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