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2024年05月19日
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ぼちぼち…

2012年01月12日
 留守にします~…とUPした後、
励ましのメールやDMを下さったり、更新なくてもココにご訪問下さったり、サイトに拍手して戴いたり…

 皆様にたくさんお気遣いいただきまして、誠にありがとうございます!!!
とても励まされました…(つ▽T)

 失礼ながら、この場で御礼申し上げまする~m( _ _ )m


 お陰さまで、10日に無事葬儀が済みまして、
後は色々と面倒な銀行関係やら保険やらなにやらが残ってますが、
まぁ親父と弟がやってるからいいや…(´・3・)
ってな訳で、昨日から仕事に戻りましたー。


 まだ暫くは、実家⇔職場⇔自宅の往復な生活になるので、愛しのマイPC(略して”まいぱ”エ…)ちゃんと戯れられず、当然絵もなかなか描けず…ですが、ちょこちょこ描いていきたいと思いますので、
再びどうぞ宜しくお願いしますー!!!
 


 以下、自分のメモ代わりに3日夜からの出来事をつらつらと、
弔問のお客さんに説明した以上の話をココにUPさせていただきやすー。


 自分的には、なんか機会があったら漫画のネタにでもー、と思ってるぐらい安易な感じに打ちますが、
ただ、内容が内容なだけに、お読みいただく際には、
読後にウツったり怖くなったりしない自信がある方限定で~(^▽^;

 
 たーだーしー・・・
これを「不謹慎だ」とは言わないで☆
自分の親の事ヨ。

 この世で我儘していいのは、かーちゃん(と真由美)だけだー・・・
とか何とか、ドサ健さんが言ってた気がします、多分。









 例によって例の如く、途中保存機能がないので(^^;
後から付け足していく感じですがとりあえず・・・




 1月4日、くも膜下出血により母が亡くなりました。
享年61歳・・・ですが、誕生日まであと数週間ってトコで亡くなったので、満60歳、って奴ですな。



■2012年1月3日

 …この日は僕ぁ実家に帰って、ふつーに食事したり、いつものように早く結婚しろだの部屋片付けろだの説教くらってました(^▽^;
なので、何の変化もなかったのですが…


■4日

 9:34、弟からの電話で起こされる。

 「かーちゃんが病院に運ばれた」って話でしたが、
ま~どうせちょっとした事だろうよ…と思って、そのまま寝た…

…ら、その6分後の9:40分、「心肺停止の状態」と追加連絡。

 ・・・それでも自分、大した事なかんべ~(´・3・)と思ってました。
おかんは特に持病もなかったですし、体型的にも心配するようなものはなかったし、
実際、すぐに救急の方が来てくれれば、復活ーなんて話もよく聞いてましたので。


 とは言え、病院に直行…
…の前に、職場に行って、今日の分の指示とか作って、社長にも電話して、
ついでに弟の到着を待って、11時あたりに3人揃って病院へ。


 それでも僕ぁまだ全く危機感がなかったけど、警察等からも連絡があったって話と、
車内で親父が、少し詰まった声で「(日頃からかーちゃん、運だけは強いので)悪運の強い女でいてくれよ」って呟いたのを聞いて、そこで初めて事の重大さを実感した。


 11:30分ごろ…

 面会の前に、先生から説明があるっていうんで、待合室で待たされる…。
何分間待ったかは覚えてないや。
ICU(集中治療室)だって事で、益々深刻さを増すが、それでもまだ、イマイチぴんとこなかったというか…。

 待っている間、看護師さんが
「今は脳に刺激を与えないように、アイマスクをかけています。
中に入っても、大きな声で呼びかけたり、体を強く揺する事はしないで下さいね」
と、大まかな状況を説明。

 しばらくして、呼ばれて病室に入ると、担当医が詳細と状況を説明。

 7:30分ごろ、おかんは職場について、セキュリティのロックを解除し、門の施錠を外し、中に入るかどうかの所で倒れたようだ。
その約20分後辺りで、別の従業員さんが倒れているおかんを発見。
心臓マッサージや人工呼吸をしつつ、救急車を呼んで下さったらしい。
このとき既に心肺停止の状態。


 救急車で最初に運ばれた病院で、レントゲン&CTスキャンをしたら、くも膜下出血の疑いアリ・当院では設備がないって事で、大きな病院へ移動。

 その過程のどの時点だったかはハッキリ言わなかったけど、
(医者が言うには)奇跡的に心臓のみが動いたそうで、呼吸器と強心剤を投与し続ける事で、辛うじて生命維持。

「くも膜下出血です。
現在、脳内の出血が著しい為に脳浮腫の感染が始まっており、脳が肥大化してしまっているため、
手術の為に頭を開いたら脳が飛び出します」

 …っておいおい、もうちっと家族に気を遣って下さいよwwwwと心の中でツッコミつつ、いやそんな冗談言える状況じゃないので(^^; ただ黙って説明を聞いていた。

 CT画像を見せながら、出血部分がココで…と詳しく話して、
「今は深い昏睡……
深く寝ているような状態ですので、痛みや苦しみはありません。」

「既に脳には心臓からの血液が回っていない為、植物状態ではなく、脳死とも違います。
後は、心臓がいつ止まるか… それは今日かも知れないし、一週間後かも知れません」

「突然の事で受け入れられないかもしれませんが、
これは、10人の医者がいたら、10人ともそう言います」

 ……って、だ か ら さ、言葉を選べっつーの(#゚∀゚)と思いつつ、
まぁこのご時勢、医療ミスだなんだで騒がれるのが嫌なのはわかるけど、自分の責任じゃないから~(´・3・)と言い訳しているとしか思えず、ど~もこの医者は信用ならん。(`д´)
もし明日まで生きていたら、医者を変えてみんべか…と思い、
希望すればCT画像をCD-ROMに焼いてくれるっつーから、依頼した。

 一応建前的には「母の中で、何が起こっているのか知りたいんです」と言っときましたー。
それはそれで、偽りのない言葉。


 …が、その一方で、もう助からない事はよーく解りました。


 説明を受けて後、おかんが寝てる部屋へ通された。
最初の説明どおり、アイマスクをかけ、呼吸器に繋がれた状態。
むしろ表情が見えないのは幸いだったのかも知れないが……、


 その姿を見て親父が、嘔吐の様な嗚咽の様な、苦しそうな声が出るのを必死に堪えた。
決して人前では泣かない親父が、そんな風になるとは思いもしなかった。
弟は元々あまり感情を出さないタイプなので、どう感じているのかはわからない。
自分は、涙は出てもその傍らで、まだこの事態を信じきれず、何となく泣いているだけのような、奇妙な感覚だった。


 その後、親戚一同に連絡し、
親父と弟は、おかんの勤務先に、車やバック等を引き取りに行ったり、
最初に搬送された病院へ手続き等をするというので、自分は待合室で、親戚のお迎え担当。
この時、15時くらいだった気がする。


 従姉妹に電話すると、最初は祖母の事での連絡だと思ったらしく、
「ウチのかーちゃんだってば」って何回か繰り返した
…って、当たり前だよな~、ばーちゃんは90歳近いので(^^;;


 朝から何も食べていなかったけど、腹は減らない。
空腹ってのも意識次第か~…と思いつつ、来た親戚に状況を説明したり、面会の案内をしたり。

 一人の時は、これが最後になるんだな…と思って、おかんの手を握ってみた。
かーちゃんと手を繋ぐなんて、何十年ぶりだろう。
こんな事でもなければ、親と手を繋ごうなんて思わないわな(^▽^;

 その他、職場に連絡したり何だりしてたら18時位になってた。

 今は容態が安定しているので…って話だから、自分は職場へ戻り、
親戚一同は、面会終了時刻の20時で解散。



 そういう訳で、自分も自宅へ帰り、さて医者を探すかー…と思ってググりつつ…

 脳って数分間酸素や血液が回らないだけで深刻な障害になるんだよな~…とか、
脳が死んでるってのに、呼吸器に繋いで呼吸だけして生きる事に、何の意味があるんだろう、
じゃぁ外せるか?って、いやそれは出来ないけど…
でも……


 …と、グダグダ考えてたら、22時辺りに弟からの連絡が。

「よくわからんけど、医者が”脈が不安定になっているから来い”ってさ」

 という事で、再び病院へ。


 うちら家族3人が病院に揃ったのは22:40頃。
病室に入ると、今まで淡々と動いていたモニターの数値は、酸素量以外の数値は全て0だった。

 そこで初めて知ったんたけど、「死亡時刻」と確定するのは、
「親族が合意し、呼吸器を外した時」らしい。

 ドラマとかであるような、心電図がピーーーーと止まって「ご臨終です」じゃないのね…。
なので、所謂「死に目に会えなかった」といえばそうだけど、別にそういう訳でもないという、何とも微妙な感じ。

 

 自分ら3人は、呼吸器を外すことに静かに合意した。
意外だったのは、親父が素直に受け入れていた事。

 多分、この姿と対面した時から、全員が覚悟していたからだろう。
心電図が動いていた時と、止まっている今とは、おかんの様子は何も変わっていない。

 

 
 22時59分が、書類上での死亡時間。
実際は何分だったのかは、特に言われなかった。

 

 昼間、説明をした担当医とは違う、若い男の先生が
「(建物の入口の境目で倒れていた為)警察が検視に来ます。
場合によっては、司法解剖させて戴きます」

 

 と言うので、思わず
「開くんですか?」という言葉が出た。
瞬間的に、冗談じゃねぇよ、と思ったので(^^;


 事件性が認められたら場合のみ、司法解剖の必要があるそうで、実際には検視だけで終わりました。


 生命維持装置から降ろすから、一旦出てくださいって言われたけど、自分は「見てていいですか」と、その場に残る事を希望した。


 自分でもキメェ奴だwwとは思ったんですが、日頃医療の現場とは無縁なので、何がどう繋がっていたのか見てみたかった、って興味と、
何となく……これ以上、他人が(特に医者といえども男だし)勝手にかーちゃんに触れるのが嫌だった、ってのもあった…
 


 …んだけど、看護師さんから「最後に着せたい服があったら持ってきて下さい」と言われて、
あらそれじゃ、今から自宅に取りに行くのは時間ないし、最後に来てた服?
ってな事で、ビニール袋にまとめて入れられていた服の確認作業を…ってな事で、体よく追い出されちったい(´・3・)


 返却された服は、インナー等は切られていて(AEDか何かを使うとき、切ったのかな?)着せられない状態なので、病院の自動販売機の浴衣を買った…
…って、最近の病院は、寝巻きとかタオルとか、自動販売機で売ってるのか~、すげー…と感心したー。



 再度親戚召集&警察の事情聴取。
くも膜下出血って原因不明だっつーから、日頃の事を詳しく説明した方が、今後の医療の役に立つのかな?って思って、色々話したら、後から親父に「相手は形式的に聞いてるだけだから、余計なこと話すんじゃねぇ」と怒られた。
だったら途中で止めてくれっつーの(`・3・)


 病院から自宅へ、遺体を搬送するのは一般車では法律的に出来ないので、霊柩車を頼まなければいけないのだが、病院ってなぁそーいう事に慣れている訳で、ご丁寧に料金表の付いた連絡先を持ってきてくれました。


 なんで車走らせるだけなのに、こんな高いんじゃーと思いつつも、反論しても仕方ない訳で…(´・ω・`)
詳細は忘れてもーたが、車で約40分の距離で3万位したかな…?


 んで、その業者を待ちつつ、病院が色々と準備しているのを、親戚一同待ち合い室で待ってる中、
「先に家に帰って、寝かせるところを作らなきゃね」と、伯母の一人が俺指名で提案してきた。


 ・・・コレと言って特に嫌がらせを受けたわけでもないのだが、ど~も嫌味っぽいっていうか、言葉に棘があるというか…
自分、この人の事が子供の頃から苦手でして・・・(^^;;;


 気持ち的には、出来る限りおかんと同行したかったし、
ぶっちゃけこの人とこの状況で二人きりは勘弁してくれーと思って、昔から仲の良いおかんの姉さんをチラリと見るも、やっぱり出来る限りおかんと一緒にいたいよね…(´;ω;`)って事で、渋々移動……。


 そういう訳で、病院を出たのが、日付変わって5日の2時くらい・・・。

 


 もうね、気持ちも体も疲れてるってのに、この人が苦手な理由の一つ・相手の言葉が聞き取れなくて「はぁ↑?」ってのが、方言なのかも知れないけど、すんげー槓に触るのよー(T0T)


 つーか俺が運転するんだぜ。
だったら何でしゃしゃり出て来るんだよって不満やら、
運転中に、気を遣って話しかけてくれるのはいいんですが、
その返答が聞き取れないと「はぁ↑?」だから、俺ぁ運転してんだよ疲れてるんだよ、アンタはいいよね死んだ後にしか来なかったし(#゚∀゚)と、不満タラタラだったんで、もう無視ですごめんなさい。


 家につくと、いつものままの我が家。
いつもおかんが持ち歩いていたバッグも、いつもの場所。

 ・・・全てが「いつもの状態のまま」で、思わず涙が出てきた……

 …ってぇのに例の伯母さん、「北はどっち?」って、あぁそうか北枕ー…ですが、そんな方角なんてしらねっツの!
で、「解りません」と答えれば、やっぱりいつもの「はぁ↑?」だし、
自分から率先して部屋片付けがどうと言いだした割には、まぁやはり他人の家への気遣いだろうけど、大して動かないし……


 もう全てが嫌になって、布団を投げつけるようにおいて、さっさと(元)自分の部屋に引きこもりました…


 …で、1月5日のツイートに繋がるわけでございますー(^▽^;




 もう少し、葬儀終了までの事も書いておきたいな~と思ったのですが、
(その予定で日付打っておいたのですが)
まぁコレはここで一旦打ち止めー。


ここまで読んでくださった方、ありがとうございました~! 

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